僕は現在、ブログやサイトの広告収入(アフィリエイト)で生活しています。
もうすぐ独立開業から2年が経つので、だいぶこの仕事も板についてきた感じですね。
最近は同業者の方と実際にお会いすることも多く、いろいろと良い刺激をもらっています。
世の中にはすごい方もいて、僕よりはるかに稼いでいる人もたくさんいるんですよ。
そんな人たちに会うと僕も「もっと稼がなきゃ!」と焦る気持ちに駆られます。
でも、ふと立ち止まって考えることがあります。「あれ?僕ってお金を稼ぐためにこの仕事をしてるんだっけ?」って。
ある程度稼げるようになった今だからこそ、改めて「お金を稼ぐこと」について考えてみました。
というわけで今回は、お金を稼ぐ目的と「その先にあるもの」についてお話しようと思います。
お金を稼いだその先にあるもの
同業者の中には月何百万も稼いでいる人がいたり、法人を3つも4つも立ち上げている人がいたりします。
僕も一応法人化を目指しているので「すごいなぁ」とは思うんですが、同時に複雑な気持ちにもなるんです。
というのも、そういう人が「いやぁ、まだまだ全然稼ぎ足りませんよ」「もっと上を目指さないと」と話しているのを見ると、僕は「すごいなぁ」と思う反面、同時にある気持ちが浮かぶんですね。
「うわっ、キモっ」って。
いやいや、ほんと失礼な話です。向こうは謙遜で言っているのかもしれないのにね。
でも、「すごい」という尊敬より前に「キモい」という負の感情が浮かんでしまったのは事実です。
「そこまでやらんでもいいでしょ~」って。
もちろんお金は必要です。たくさんあるに越したことないです。
それは僕も同じなんですが、そもそも僕がこの仕事を始める「動機」って、お金を稼いだその先にあるものだったはずなんですよ。
その先にあるものとは何か。それは好きなことを楽しんだり、大事な人と一緒に過ごしたりする「豊かな時間」です。
何にもとらわれず、好きな人と好きなことをして暮らせる生活。それを手にするのが一番の目的だったはずなんですね。
決してお金を稼ぐことが「目的」ではない。お金を稼ぐことは「手段」に過ぎないんです。
なのに、いつの間にか「お金を稼ぐ」という「手段」を、「目的」にしてしまっている自分がいたんですね。
なんだろ。ドラクエでいうと、ボスを倒すという「目的」を忘れてレベル上げばかりしている・・・みたいな?(笑)。
でもこういう状況って、あなたの日常にもありませんか? 「手段」がいつの間にか「目的」にすり替わっている状態。
こういう状態を「手段の目的化」といいます。
日常にも潜む「手段の目的化」
「手段」が「目的」にすり替わってしまう「手段の目的化」は、日常でもよく起こります。
例えばこんな経験はありませんか?
- 仕事をスムーズに回すために報告書提出を義務付けたけど、報告書の作成に時間をとられて仕事が回らなくなった
- 痩せて綺麗になるために始めたダイエットなのに、体重を減らすことばかりに目が行き、いつの間にか拒食症になっていた
- 大学に入るために受験勉強を頑張ったけど、大学に入ったら何をしたらいいのか分からなくなった
「報告書作成」も「ダイエット」も「受験勉強」も元々は「手段」だったはずなんですよね。なのに、いつの間にかそれが「目的」になってしまっている。
本来の「目的」は「スムーズに仕事を回すこと」「綺麗になること」「大学で勉強すること」だったはずなのに、「手段」が「目的」にすり変わってしまってるんです。
自己目的化(じこもくてきか、英: activity trap)とは、ある目的のためにたてた「目標(値)、達成のための手段、あるいは具体的な行動など」が、いつの間にか「目的」にすり代わり(そして概ね、本来の目的は忘れられ)あるいは逆効果の、目的に反する事態に陥ること。
「手段の目的化」が起こると、人は本来目指すべきものを見失います。
「手段」で満足感を得てしまうので、ゴールが見えなくなってしまうんですね。まさにドラクエでレベル上げに没頭している猿状態(笑)。
増える数字にカタルシスを覚えてしまうと危ないんですよね~。僕の仕事でいうと、お金を稼ぐこと自体が「目的」になってしまうと危険なわけです。
だから、「手段」と「目的」を取り違えないようにしないといけないですね。お金を「目的」にしちゃうと、いつまで経っても満足感は得られないですから。
余裕が出てきたからこそ言える話ではあるのですが、最近はそんなことを思ったりするのです。
働くことだって「手段」の1つに過ぎない
僕は「働くこと」だって「手段」の1つに過ぎないと思っています。
働くことは「お金を稼ぐ手段」の1つであるのと同時に「人生を楽しむ手段」の1つに過ぎないんです。
他に方法があるなら何でもいいんです。
不動産投資とか「働く」以外の方法で稼いでもいいと思うし、没頭できる趣味を見つけて「働く」以外の方法で人生を楽しむのもアリだと思います。
僕の場合はサイト作りが楽しいから、働くことも「人生を楽しむ手段」の1つではあるんですけどね。^^
一番悲しいのは、働くことが「目的」になってしまっているケースです。
「家族のため」「自分のため」に働いていたはずなのに、いつの間にか家族や自分を犠牲にして仕事に全てを捧げてしまっている。
- 予定していた家族旅行を仕事のためにキャンセルする
- 仕事のために妻の出産に立ち会えない
- 定年退職するまで好きな趣味を始められない
こういうのも手段が目的化しているケースです。仕事という「手段」が「目的」になってしまってるんですね。
熱中するのは結構なことです。でも、それは本来望んでいたことですか?
本当はその先に真の「目的」があったんじゃないですか?
働くことが目的になってしまっている人は↓こちらの記事も読んでみてください。
関連記事会社に振り回されない生き方
がむしゃらに行動している人は、本来の「目的」を一度見直してみるのもいいかもしれません。
あなたが働くのはなぜですか? あなたがお金を稼ごうとしてるのはなぜですか?
あなたの行動は、他でも代用できる「数ある手段のうちの1つ」なのかもしれませんよ。