僕は1975年生まれで、就職氷河期の「第一世代」と言われています。
僕が就職したのは1997年で、「超氷河期」と言われ新卒採用が一気に冷え込んだ時期でした。
そんな僕たちも50歳近くになりました。
世代交代に差しかかり、Z世代と呼ばれる若い世代にバトンを渡す段階に近づいています。
彼らZ世代は、人手不足の世の中を生きています。
求人は引く手あまた。良い待遇を求めて転職するのは当たり前。初任給をアップする企業も増えています。
200社受けて1社も受からなかった我々からすると、「時代でこんなに差があるのか…」と愕然とします。
僕たちはロスジェネ(失われた世代)なんて呼ばれたりしますが、まさに「古い時代」と「新しい時代」の狭間で取り残されてしまいました。
そんな僕たち氷河期世代が生きてきた時代を振り返ってみたいと思います。
このまま割を食って人生を終えてしまうか? 氷河期世代の一人として、今感じることをつづってみました。
僕たちは不遇の時代を生きてきた
氷河期世代が生きてきた時代を振り返ってみると、まさに不遇の連続でした。
バブル崩壊の余波が残る1997年。山一證券や北海道拓殖銀行が破綻した不況のどん底で僕たちは就職しました。
僕は就職活動では200社の企業に応募しました。
まだインターネットもなかった時代ですから、すべてハガキに手書きですよ。
リクルートからもらったハガキに自己PRや志望動機を書いて応募していました。
それを200通も書いたんだからすごいですよね。「ここでの字のきれいさが合否を左右する」なんてまことしやかな噂もありました。
これだけ応募しても、ほとんど書類選考で落ちます。
なので最初は業種を絞っていたものの、最終的にはメーカーでもサービス業でも受けれる企業は何でも受けてました。
その中で面接まで進めたのは40社。うち内定が出たのは2社だけです。
でも内定が出ただけマシな方で、友人の中には就職をあきらめてアルバイトしたり、大学院進学に切り変える子もいました。
そして何とか入れた会社も、いくら頑張っても給料は上がりません。
僕は新卒で入ってから17年間勤めましたが、年収が350万を超えることは一度もありませんでした。
それどころかリーマンショックの頃には業績が傾き、ボーナスも出なくなって年収は200万円台まで下がりましたから。
その後37歳で転職し少し給料は上がったものの、今度は新しい会社の人間関係でメンタルを病むことになり、2年で退職することになりました。
ついに正社員の道から外れて無職になってしまった経緯は、これまでのブログでさんざん書いています。
関連記事僕が40歳手前で退職した理由
ただ、こんな僕でもまだラッキーな方です。
会社を辞めたおかげでブログやYouTubeで独立できたし、個人事業主として10年近く食べていけてるんですから。
氷河期世代の中には辞めてから非正規を転々としてる人もいるし、辞めたくても辞められず鬱や引きこもりになる人もいます。
劣悪な環境で懸命にもがき、力尽きたら「自己責任」とみなされてしまう。
そうやって見捨てられた人が、氷河期世代にはたくさんいるのです。
今さら少子化対策とか言ったって
ここ最近、少子化対策が声高に叫ばれています。
でも、取り残された僕たちからしたら「何を今さら……」と思ってしまうのです。
日本が少子化になったのは、団塊ジュニアと呼ばれる僕たちが子供を生まなかったからです。
第二次ベビーブームの僕らが子供を生まなかったから、第三次ベビーブームは起きなかった。
それが日本の少子化に拍車を掛けました。
いや、「生まなかった」のではなく正確には「生めなかった」のです。
こんなふうにさんざん働いても低収入なわけですから、結婚して家庭を持つのはかなり難易度の高い無理ゲーでした。
ましてや子供を持つなんて、とてもとても。。
僕は独立することでなんとか家庭を持てたわけですが、独立しなければ低収入で独身のままだったでしょう。
そして同様の理由で結婚できない人が、僕らの世代にはたくさんいるのです。
だって、将来が良くなっていく希望が持てないのに、子供なんて作れるわけないじゃん。
そうこうしてるうちに氷河期世代は50代を迎え、結婚できる年齢を過ぎてしまいました。
今さら支援してもらっても、子供は生めない。
今言われている少子化対策も、利益を享受できるのは僕たちより下の世代になるのでしょう。
僕たちは財源として徴収されるだけ。つくづく運がないというか、貧乏くじばかり引かされています。
国の支援もコロナでうやむやに
だからといって国も手をこまねいていたわけではありません。
「就職氷河期世代活躍支援」ということで、政府も支援策を行っていました。
しかし中身はというと、ハローワークでの就職支援など従来と大して変わりのないものでした。
氷河期世代を採用する自治体もあってニュースになりましたが、1~2名採用したところで事態が改善するわけではない。
それに、その1~2名の採用枠に数百名の応募があるわけだから、結局また「不採用」の人を大量に増やしただけになりました。
また、支援のタイミングも悪すぎました。
政府は2020年度からの3年間で、氷河期世代の正規雇用を30万人増やす目標でいましたが、21年時点で3万人の増加にとどまりました。
原因はそう、コロナです。
多くの企業がコロナで採用を絞っていたため、支援策も空振りに終わりました。
支援策の中には8割以上の予算を使い残した施策もあるほどです。
もっと早く、手遅れになる前に手を打っていたら。何もかもが遅すぎるんです。
変化の波の最前線にいた世代
振り返ってみれば、氷河期世代は社会の変化の最前線にいた世代でした。
「昭和の価値観・社会システム」と「令和の価値観・社会システム」との狭間にいた世代。
たとえば僕たちが入社した頃から、終身雇用・年功序列の崩壊は始まりました。
だから、今の会社で一生働けなくなることは予感していました。
しかし今のように転職環境が整っておらず、待遇アップで転職するのが難しかったため、会社にしがみつくしかなかったのです。
また、新入社員の頃は上司から昭和型の根性論で教育を受けました。
「長く残業した人の方がえらい」という価値観がまだ残っており、深夜まで残業するのはザラでした。
しかし今では効率性を重視し、ワークライフバランスを考慮する働き方が主流になりました。
僕たちはそんな新しいシステムが会社に備わらないままで、新しい価値観に転換するよう追い立てられてきたのです。
僕たちの世代で変わった価値観
- 終身雇用・年功序列から成果主義・実力主義へ
- 「夫が働く」から「共働き」へ
- 情緒や根回し重視の仕事のやり方から「合理性重視」に
- 「貯金が正義」から「投資が必須」に
- 車・家などは「所有するもの」から「共有するもの」に
そんな変化をモロに受けた僕たちは、常に変化の波の先頭を走ってるような感覚でした。
社会のシステムが構築される前に、新しい価値観を受け入れるよう促されてきました。
そして僕たちが走った後に、システムや体制が整っていったのです。
システムが整備された後に、それを「当たり前のもの」として享受しているZ世代。
そしてそんな変化が来る前に逃げ切ってしまったバブル世代。
その間を生きてきた氷河期世代が、「時代の損を一手に引き受けた」というのは言い過ぎでしょうか。
もちろん各世代にはそれぞれの苦悩があるとは思いますが、氷河期世代が受けた傷を考えれば、世代による不公平感を感じてしまうのです。
人生後半もきっと苦労するけど
そんな氷河期世代も50代を迎えるようになりました。
人生後半戦になりましたが、おそらくこれからも貧乏くじを引かされることになりそうです。
変化の最前線にいる僕たちが次に直面するのが「年金」と「医療」です。
現在は団塊世代が生きているので大幅な年金・医療の改悪はされませんが、あと数年で団塊世代も徐々に亡くなっていきます。
今の高齢者が大票田ではなくなったのを見計らって、年金・医療も大幅に改悪されていくでしょう。
僕たちが高齢者になった頃には、社会福祉を削る議論が今より活発になっているかもしれません。
ただ、僕たちは今のようなiDeCoやNISAがない時代を生きてきました。
僕たちより下の世代は「老後は自分で備える」という考えが浸透しつつありますが、僕たちには準備する手段すらなかったのです。
そして「貯金しなさい」という古い教育を受けてきた。資産の作り方を教えてもらえなかった。
武器を用意してもらえず、困窮したらすべて「自己責任」で片づけられる。
こうなってくると、時代は僕ら氷河期世代が全員亡くなるのを待っていて、その後にやっと社会は良くなっていくんじゃないかとすら勘ぐってしまいます。
とまぁ、氷河期世代について思うことをつらつらと書いてみました。
なんだか恨み節になっちゃってすみません。
ただ、氷河期世代の苦悩を分かってもらいたくて書いてみました。
とはいえ、氷河期世代にも優れた点はあります。
氷河期世代の特徴として「生きる力」はめちゃくちゃあると思うんです。
バイタリティというか、逆境に負けない「タフさ」です。
これだけ苦しい時代を生き抜いてきたのだから、その「タフさ」は誰にも負けません。
僕自身も数々の苦しみを味わったからこそ、今の独立して自由に生きられる生活があるのだと思います。
関連記事ブログ収入で生活する方法 7年以上実践した僕が真実を語る
というわけで、僕たちはこれからも苦労すると思います。
しかし「タフさ」を武器に、変化の荒波を生き抜いてほしいなと思うのです。
同じ氷河期世代として。これまでの苦労が報われることを願って。