僕は2014年2月末に会社を退職し、無職になりました。
40歳手前、39歳にして正社員という地位を手放したわけです。
今回は僕が退職して無職になった経緯をお話しようと思います。
新卒で入社、その後広告デザインの部署へ
僕はこれまでに2社、正社員を経験しています。
1社目は新卒で入った企業で、業種はとあるサービス関係の会社でした。
一応、全国展開している会社で、入社当初の従業員は1000人くらいだったかと思います。
新卒で入社してから10年間は、いわゆる支店でお客様との接客を中心に業務を行っていました。
シフト制でしたが、周りにいい人が多かったので、そこそこ楽しく働いていたと思います。
ただ、給料がめちゃくちゃ安かったんですね。給料が安いから、将来設計が立てられない。
加えて離職率も非常に高かったので、自分もいつかは転職しなくちゃと考えていました。
転職先としては、ものづくりが好きなのでデザインの仕事がしたいと思っていました。もともと趣味でホームページとかも作っていましたし。
で、転職するために僕はDTPとWebデザインを、仕事をしながら習いました。
休みの日に朝からスクールに通っていたんだから、この頃は非常にバイタリティがあったんだなと思います。今ではとてもそんなことできません。(*´Д`)
で、とりあえずDTPとWebデザインを習得した頃に、本部の広告制作部署に空きができたんですね。当時31歳。
「ここですぐに異業種に転職するよりも、まずは慣れた会社で広告デザインを学んだ方がいいだろう」と思い、広告制作部署に異動希望を出しました。
社内にはIllustratorやPhotoshopを触れる人がいなかったので、僕はすぐに異動することになりました。
こうして僕は社内デザイナーとして仕事をしていくことになったわけです。
会社の業績悪化とブラック企業化
広告デザインの仕事は、非常に楽しかったです。この仕事は向いていたんでしょうね。
それに社内のデザインなので自由にできますし、納期も融通がきくので、広告制作会社で働くよりもずっと楽だと思います。
でも、この仕事を続けるわけにはいかなくなってきたのです。会社の業績が傾きだしたんですね。
元々この会社は社長のワンマン企業でして、社長の一言で方針がコロコロ変わる会社でした。人事も社長の好みで動き、急に取締役が20人に増えたと思ったら、急に3人に減ったりします(笑)。
こんな会社なので社長が間違うと一気に会社が傾くのです。
業績が傾いてからは、給料もどんどん下がっていきました。ボーナスは全く支給されなくなり、年収はとうとう200万円台に!(゚Д゚;)
正社員なのに年収200万円台ですよ! 森永卓郎が「年収300万円時代」と言っていましたが、さらにそれを下回る低待遇。
さらに社内ではリストラが始まり、1000人程いた社員は600人程度に削減されました。
なのにこの会社はアホなことに支店を増やしだしたりと支離滅裂なことをし始めるのです。
そうなると人が足りなくなり、バイトを雇って支店長をさせたりするという暴挙。時給850円の支店長なので、すぐに辞めていきます(笑)。
毎月200人規模で人が入れ替わるという、まさにブラック企業と化しました。
ちなみにこの会社は今も人を大量募集しています。
周りの人間関係が良かったのと、休みが自由に取れるのは良いところなんだけど、いかんせん給料と高離職率がねぇ。。
それにアホすぎる上層部にもうんざりしていました。
かくして僕は転職活動を本格化することにしたのです。
転職活動、そして37歳で転職
僕は働きながら2年ぐらい転職活動を続けました。
そして2011年の夏頃からは転職活動を本格化し、2012年の春には転職する決意でいました。
転職先としては会社内での広告制作部署を希望していました。その時36歳でしたし、さすがに広告制作会社は年齢的に無理だと思っていました。
それに広告制作会社だと残業や徹夜が当たり前で、体力的にキツいですもんね。(+_+)
目指すはインハウスのデザイナー! つまり職種は変えずに、業種を変える転職をしようとしたのです。
で、転職は成功しました。
デザインだけではなく、部下のマネジメントも行っていたのが良かったんでしょう。
最終的には4社から内定をいただきました。
業種はそれぞれ異なるんですが、全て社内の広告制作部署です。かなり迷いましたが、そのうちの医療関係の会社に入社することに決めました。
ここに決めたのは、仕事がラクそうだったからです(笑)。
給料は安いですが、勤務時間も短めだし、残業も少なそう。実際入社してみると、皆定時で帰る会社でした。
うん、会社としては非常に良い会社なんですけどね。。十分ホワイト企業だと思います。
それにWebとDTPの両方を取り扱っているし、係長候補としての入社なのでマネジメントにも携われます。デザイナーって、作るだけでは歳取ってから潰しが効かなくなりますからね。
将来的にはマネジメントの経験が必要になるわけだから、これなら将来的なキャリアも描けると思いました。
ただ一つ引っかかっていたのは採用担当者が言っていた「ちょっと問題のある部署だと思うんだけど。。」という言葉。
でも今までブラック企業でやってきたわけだから、少しぐらいの問題はこなせるだろう!と思っていました。
それがまさか地獄の始まりだとは、ね。。
入社して半年で適応障害に
入社して配属されたのは男1人・女4人(後に1人辞める)の広告制作部署でした。
それを束ねる係長がいて、その人が退職するので、その代わりに僕が入った形でした。
全員僕より年下だったので、ちょうど僕がふさわしかったんだと思います。
ただ、すぐに係長になるわけではなく、まずは一課員としての勤務でした。30代前半の男社員とペアで仕事をすることになりました。
でも初日から部署内の空気がおかしいことに気づきました。なんか皆とても冷たい、空気が重い。。
初日に思いましたもん。「あれ、入るとこ間違えたかな?」って(笑)。
まぁでも仕事はしていきましたよ。一応、新入社員ですからね。
そして段々この部署のおかしさに気づいていくのです。
まず無意味な校正ばかりをしていること。
校正はあって当たり前なんですが、意味のない校正ばかりやっているのです。一応従って修正を加えるのですが、修正したものが良い出来になっているとさっぱり思えません。
そして何回も修正するから、当然時間もかかります。あげくに出来上がったものは、最初のものよりも質が落ちてる始末。
こんな修正意味あるのかー!?
さらに皆ものすごく細かいことばかりを言ってくる。はっきり言ってどうでもいいこと。
少し予定がずれただけで怒り出す。多少ずれるのは当然だし、納期さえ合えば支障はないというのに。
無意味なことに細かい。
他人を攻撃ばかりする。
間違いを許さない。
僕が入社して1ヶ月で女の子が辞めていったのですが、その子はかなり精神的に参っていたようです。すごく優しいイイ子だったんですけどね。。
そして部署の人たちが作ったイラレのデータを触っていると、妙なことに気づきました。
「あれ?皆アピアランスを使ってない」
「エリア内文字を使っていないぞ??」
なぜかDTPで普通に使う機能を誰も使っていないのです。
段々分かってきました。
はい、皆さん素人集団だったんですね(笑)。
つまり素人さんが自分たちのルールを絶対化してしまって、それを強制的に押し付けてくる集まりだったのです。
自分たちのルールで頭が固まっちゃってるんですね。
デザインにルールがあるのは分かってるんですよ。でもそれは原則であって、全てに適用されるわけではないのです。
そこを皆履き違えてるんですね。そんなだから、僕が何か提案しても全く聞き入れてもらえませんでした。
そして彼女らは僕を執拗に攻撃してくるようになります。小さなミスを見つけては、否定・攻撃の連続。
毎日のように否定・否定。。
自分たちを守るための否定と攻撃です。
毎日否定され続けると、心はマヒしていくんですよ。間違ってるのは相手の方なのに、自分の方が悪いんだと錯覚してくる。
僕の心はだんだんふさぎ込んでいき、動くのがとても怖くなりました。
半年経った頃には、小さな作業でも怖くて仕方なくなっていました。
例えば数字を書き写すだけの作業でも、何回も見直さなければ前に進めなくなる。
人の話が理解できなくなり、一言一句メモを取らないと頭に入らなくなる。
そうなると仕事も遅くなるから、「遅い!」とまた怒られる。もう、負のスパイラルです。
そして判断力もどんどん鈍ってきました。
何をやっても行動が間違ってしまうのです。
しまいには髭を剃り忘れたり、スーツの上下を違うものを着て行ったりしてました。
前の会社では結構テキパキ仕事をこなしていた方なんですよ、僕は。
なのに「こんなこと間違うはずない」ということまで間違えてしまうのです。
理解もできない、判断もできない、行動は間違いだらけ。。
さすがに「こりゃヤバい」と思い、僕は心療内科を受診することに決めました。
そこでの診断結果は「適応障害」。
うつ病の一歩手前です。
ここから僕の適応障害との戦いが始まるのです。
1年の我慢の末、退職へ
上司も「この部署のやっていることはおかしい」と分かっていたので、かなり改善を試みてくれました。
そして最終的には部署を解体して、僕ともう一人の男は別部署で今までと同じ仕事をすることになったのです。
つまり女3人と関わらないところに避難させてくれたんですね(結局この女3人が諸悪の根源のお局3人衆だったというわけです)。
そのため、環境は少し改善されました。心療内科で処方された薬の効果もあってか、前よりは体調も良くなったと思います。
しかし一緒に仕事をしていた男が変わらなかったため、また体調は悪化の一途をたどるのです。
この男が本当に器が小さく、融通の利かない男でねぇ。。
自分もお局3人のことを良く思ってなかったくせに、部署が分かれても執拗に前部署のルールを押し付けようとするのです。
せっかく離れたんだから、もっと自由にやればいいのに!
この男が出してくる修正も、どうでもいいようなことばかりでした。どうでもいいーー!!って叫びたくなることばかり(笑)。
この男は細かすぎることばかり言ってくる、超がつくほどのA型人間(実際A型なのかは知りませんが)。
自分の考えた順序で仕事が進まないと納得いかないらしく、人の仕事の進め方にいちいちケチをつけてきます。
そしてまた否定、否定ばかりですよ。自分の考えたことしか正しいと思っていない。
もうこの男、頭が完全に凝り固まっているのです。
そりゃ僕も合わせようとしましたよ。でも、どうやっても合わせられないようなことばかり言ってくるのです。
「僕に『お前の頭になれ』とでもいうのか!?」と思いました。
そして合わせようとしても合わせられないので、また適応障害の症状が勃発するようになってきました。
さらにこの男は態度が異様に冷たい。
僕が少し雑談をもちかけたら、「それを話す必要はありません」とか言ってくるのです。
(゚Д゚;)ハァ
いやいやいや。
仕事には会話による潤滑油も必要でしょ。
こちらが仲良くしようと試みても、逐一遮ってきます。
他にもこの男が旅行で一週間休んだ時は、僕が代わりに仕事をしているのに、帰ってきてから「ありがとう」も一切なし!
普段、手伝っても一切お礼を言うことをしません。
僕が入社した時からそんな調子でしたもん。そのくせ他の人には冗談言ったり普通に接しているのです。
ええ、ええ。僕のことが嫌いなのは分かりますよ。でも一緒に仕事をするパートナーなんだから、もう少し接し方があるでしょう。
こんな男とずっと一緒にいるうちに、どんどん気持ちは一つの方向に傾いていきました。
辞めたい。辞めたい。。
徐々に適応障害の症状はひどくなり、薬も増えていきました。
今までやってきた趣味も続けられなくなってきました。
喜怒哀楽がなくなり、何をやっても楽しめないようになりました。
食欲・性欲・睡眠欲という3大欲求に異常が出てきました。
日曜の夜は明日からのことを考えると、うずくまって動けなくなります。
仕事も合ってなかったんですよ。本来望んでいたデザインの仕事ではなく、事務作業がメインの仕事になってましたし。
男の注文が細かすぎて、一つ一つの作業が恐怖でした。
この頃は会社に行くのが嫌で嫌で、出社前は駅のベンチでうなだれてました。会社のトイレにこもったりもしてました。
そしてこんな毎日からとにかく解放されたくて、退職を決意することになります。
とにかくこの男に会いたくなかったです。
かといって、部署異動すればデザインとかけ離れた部署になるし。この会社に入社した時の本来の目的からはすでに逸れてしまっていたし。
何よりここから出たくて出たくて仕方ありませんでした。
こうして2014年2月末、僕は会社を退職し、無職という肩書きになるのであります。
このメンタルを病んだときの状態については、↓こちらのメンタルヘルスシリーズで詳しく語っています。
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適応障害で退職した当事者だから語れる本音[メンタルヘルスシリーズ]
僕は職場の人間関係が原因で適応障害になり、勤めていた会社を退職しました。 執拗に人格否定してくるお局たち、まったく融通の利かない上司、自分の適性に合ってない仕事……。 会社勤めしていたときは、毎日が嫌 ...
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今振り返れば、「辞めたい」という一心でものすごく視野が狭まっていたのかもしれません。
でも、あのまま続けていくのは不可能だったと思います。
だから会社を辞めたことは後悔していません。
幸いにも退職してから適応障害はよくなり、薬をやめることもできました。
当時持つことのできなかった「意欲」や「喜び」も持つことができるようになっています。このブログを作ったのも改善の表れかな。
「無職」という肩書きはつらいけど、当時の自分よりは全然いいかなと思うのです。
あのまま続けていれば、毎日「嫌だ嫌だ」と思いながら生きていくわけですよ。そんな人生、辛すぎます。
辛い時は逃げてもいいと思うのです。
長渕剛の「逆流」という歌にこんな歌詞があります。
「だって僕は僕を失うために生きてきたんじゃない」
ま、先行きはどうなるか分からないけどねー。(´ω`*)
今は楽しくいきますよっ!
というわけで長くなりましたが、僕の退職ヒストリーでした。